まだまだ話は穏やかです。
出演 : 井ノ原快彦 ・ 坂本昌行 ・ 長野博
長野のマンションに井ノ原を預ければ安心だ。と一度は思ったものの、いざ来てみると気が重い。電話では今から、井ノ原と一緒に大切な話をしに行くから。としか言わなかった。どう説明すればうまく伝わるだろう。そもそも、こんな状況自体受け入れてもらえるかが怪しい。熱のせいでぼんやりとしている井ノ原を連れて、長野の部屋の前に立つ。初めて来るわけでもないのに、異様な緊張感。
「これおさなきゃ、ながのくんはでてこない。」
「おい、ちょっ・・・」
インターホンを押すことを躊躇っていた坂本を他所に、井ノ原が容易くそれを押してしまう。当然、中にいた長野はそれに応えるわけで、
「ながのくん、よしがきた。」
なんて井ノ原は無邪気に名乗っている。「よし」なんて名乗って、長野が不審がったらどうするんだ。思わずあわてた坂本を失笑するように、部屋のドアはあっさり開いて、顔を出した長野は平然と、井ノ原に笑って見せた。
「こんにちは、よっちゃん。」
「ちがう。よるだからこんばんは。」
「ああ、そうだね。って、どうしたの?しんどいの?」
「からだがあつい。」
「熱が出ちゃった?早く上がって。」
とても自然なやり取り。長野は優しく井ノ原を支えながら部屋に招き入れ、くるりと坂本を振り返った。
「井ノ原くんも上がりなよ。」
今、何と呼んだ?ずっとそうしてきた当たり前のことのように、長野は坂本に向かって「井ノ原くん」と声をかけた。いつもとまったく違う様子の井ノ原にも慣れている。いくらメンバーの中でも一番冷静な男でも、この不意打ちには何かリアクションがあってもいいはずなのではないか。と坂本は思った。
リビングのソファに井ノ原は腰掛けて深く背もたれに体を預けていて、長野はキッチンで何やら音を立てている。もちろん坂本はキッチンに直行。
「とうとうバレちゃったね。」
差し出されたコーヒーと一緒に発せられた言葉は、まるでいたずらがばれた子供のように明るさを含んでいた。明らかに長野は、井ノ原のこの現象を知っている。井ノ原と話す様子はとてもやわらかかったし、坂本を井ノ原と呼んだし。
「よっちゃん、先に着替えようね。晩ご飯は卵のおじや、作ってあげるからね。」
「おなかすいてない。」
「空いてなくても、ちゃんと食べないとダメだよ。それとも病院で、痛い注射たくさんしてもらいたい?」
「・・・・・おじや、たべる。」
こっちのほうがよっぽど親子らしい。長野はクローゼットからパジャマを出して井ノ原に手渡し、着替える井ノ原が脱ぎ捨てた服を回収している。井ノ原が着替えたそれは当たり前にぴったりのサイズで、長野が以前から井ノ原を家に泊めたりしていたことも実証していた。井ノ原が外見は大人なのに中身だけが6歳児。大昔の漫画の設定みたいな現実を、坂本はコーヒーをすすり、出来れば冗談であって欲しいと祈りながら、遥か遠い場所での出来事のように捕らえていた。実際、今夜は長野に預けてしまう気でいるから、直接自分の身にこれ以上の井ノ原の世話が降りかかってくることはない。
「ながのくん、コスモレンジャーみたい。」
「いいよ。布団敷いてあげるから、ゴロンして見ようね。」
早まって自分の家に連れて帰らなくて良かった。心の中で安堵のため息をつく。
「井ノ原くん、布団運ぶから手伝って。」
「あ、ああ。」
長野は自分の寝室へ、坂本を促した。
絶対にこっちのほうが親子として合ってる。長野の寝室に入った、坂本の第一印象である。壁いっぱいに貼られた子供のお絵かき。ベッドの上に転がるぬいぐるみ。布団を出すといって開けた収納の中には、いくつもおもちゃの箱が押しこまれている。出した布団にはかわいらしい動物柄のカバーがかけられて、枕には特撮ヒーローのカバー。これを長野がどうやって手に入れたのか、井ノ原と連れ立って買いにいったなんて光景を想像すれば、空恐ろしい。
「ロケは無事に乗り切れたの?」
「当たり前だ、井ノ原だぞ。」
誰よりもプロとしてのプライドが高い男。自分の体がどれだけ悲鳴を上げようとも、決して妥協は許さない。年長者である坂本や長野よりも、ずっと高いところを見ている。ときどき、その姿が痛々しく見えるのは、甘さだろうかと思ってしまうほどに、厳しく、気高い。
「1年くらい、こんな風なんだよ。突然、6歳のよっちゃんが出てくるんだ。普段は自分に厳しすぎるくらいだから、その反動なのかもしれないね。」
そう話す長野は、辛そうに目を伏せている。例えばそれで井ノ原の精神がバランスを取ろうと作用しているのだとして、そんなに悲しいことはないからだ。言葉で言えない分を、こんなカタチで補わざるを得ないのだなんて。
「難しい顔してる。そんな顔してたら、よっちゃんに勘繰られるよ?」
「6歳のガキが、何を勘繰れるってんだ。それより、お前って明日はオフだよな?」
「うん。よっちゃんはうちで預かる。熱もあるし。一緒にいたのが坂本くんでよかった。絶対にここを頼ってくるから。あ、6歳のよっちゃんのこと、あまり見くびらないほうがいいよ。意外としっかりしてるし、鋭いから。」
「あれでか?」
「突飛な行動も多いけど、自分のことはちゃんと分かってる。お父さんとお母さんと一緒に遊びたいとかいう類のわがままも言わないし、一人でお留守番もできるし、ダメって言ったことは絶対にしないし、もしかしたら健や剛よりしっかりしてるかもね。」
何歳でも、井ノ原は井ノ原なんだな。と思う。せめてこんなときくらい、自分勝手に振舞ってもいいのに。坂本は苦笑しながら布団を抱えると、部屋を出ようとして、机の上で目が留まった。大学ノートが何冊も置いてある、その表紙に書かれた言葉。「よっちゃん⑤」とは、おそらく長野がこれまでに6歳の井ノ原と過ごしてきた記録的なことだろう。
「ああ、それ、坂本くんも読んだほうがいいよ。こうなっちゃった以上、よっちゃんのこと、よく知っておいて欲しいから。」
言って、長野は引き出しから大量の大学ノートを出し、机の上に積み上げる。
「くれぐれも、本人とカミセンには内緒でね。」
「井ノ原、知らないのか?」
「元に戻ったときには、子供になったことは覚えてないみたい。」
つまり、多重人格とかそういう症状ではないということ。単に、精神が急激に退行しただけ。それを知ったからといって、打開策はない。知っておかなければ、井ノ原を無意味に混乱させてしまうかもしれないという点では、重要なポイントだが。
「とりあえず、今すぐに知っておいて欲しいこと、言っとくね。よっちゃんが見たいって言ってたコスモレンジャーね、特撮ヒーローものなんだけど、リーダーのコスモレッド役の人のこと、坂本くんだと思い込んでるから。」
「はぁ?」
「もちろん違うよ。36歳で戦隊ものの主役なんて、今じゃ有り得ない話だもん。若いイケメン系の男の子で、ちょっとツンデレキャラかな。でも、よっちゃんの中では、それは自分のお父さんだって信じて疑わないみたい。いたいけな子供の夢、壊さないでよね。」
特撮ヒーローもの。男の子ならみんな通る道だ。大人になれば見なくなってしまったが、子供にとっては大いなる夢の世界。憧れも抱いたりする。極力、井ノ原に話を合わせてやらないといけないな。と思いながら、坂本はリビングに戻った。
すでにリビングでは井ノ原がコスモレンジャーを見始めていて、鼻っ柱の強そうな男が敵とバトルを繰り広げていた。まだ変身する前だが、案外強い。赤い石の付いたチョーカーをしているから、これがレッドなのかもしれない。が、どう見ても年の頃は20代前半。とても坂本と同一人物という判断が下せるような感じではなかった。子供の目線というのは不思議なものだ。
「きた!」
井ノ原が呟く。テレビの中では続々と敵の援軍が駆けつけ、次第に劣勢になっていくレッドと思しき男。そして4人の味方が駆けつける。王道パターンは今も昔も変わらない。
「クラスチェンジ!コスモガーディアン!」
変身するヒーローたちと一緒に、井ノ原も叫ぶ。あまりにも一生懸命に見入っているから、その座っている場所に布団を敷いてやりたいが、声をかけるタイミングがない。いいところで声をかけて、拗ねられでもしたら宥める術はまったくない。バトルは白熱している。もうすぐ、巨大なロボットが登場するはずだ。
「よっちゃん、お布団敷くから、少しだけ横に動いて。」
長野は平然と井ノ原に声をかけた。それにちゃんと頷いて、井ノ原も素直に移動する。拗ねて怒ったりしないのか。それまで井ノ原の様子を見ていたが、気付き、長野の行動に注目。どんな風に井ノ原を扱っているのか。
「できた。よっちゃん、寝てもいいよ。お布団被っててもいいけど、頭まで被らないで。汗かいたら教えてね。」
目線はテレビのまま、もぞもぞと布団にもぐりこむ井ノ原を見て思わず笑みがこぼれた。本物の6歳児を見ているよう。
「井ノ原くん、時間はいいの?」
「いや、もう行く。長野、悪いがいの・・・ヨシを頼む。」
「大丈夫。よっちゃん、お父さん、仕事に行くんだって。いってらっしゃいして。」
「おとーさん、いってらっしゃい。」
「行ってくる。」
「あとっ、きょうもわるいやつをやっつけてくれて、ありがと。」
「え、ああ、いや。どういたしまして。」
えらく前途多難になったな。坂本は長野に半ば押し付けられるようにして持たされた大学ノートを抱えて、部屋を出た。最新のもので27の番号が振られている。これをちゃんと読めば事情は大方分かる。と長野は言ったが、読んで果たして憶えられるものか。今でもリビングで大好きなビデオを見てごろ寝している井ノ原を想像すると、なんとなく理不尽な気がしてため息が出た。
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